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歴史3 田予

3回目なので、そろそろ有名どころの三国志からと思いましたが、
書こうと思った「田予」があんまり有名ではなかった(笑)

書くにあたって、光栄さんの三国志の11ステータスを見ました。
オール70ー80ぐらい。

私の評価はこれより上ですが、
登場すらしなかったバージョンを考えると大躍進です。


田予という方の特殊性は、
曹操と劉備の両方に仕えたことがあり、
黄巾の乱から五丈原の20年後まで生きたことです。

同じような武将をピックしてみましょう。

徐庶
劉備の配下として登場するも、曹操陣営に入ると陰を潜める。

廖化
黄巾の乱~蜀滅亡まで現役であるが、大軍を率いることはなかった。

張郃
黄巾の乱~袁紹ー曹操と仕え、諸葛亮の北伐で戦死。
戦死した時点で、もっとも経験のある将軍とされていた。

というのを踏まえて。


田予

黄巾の乱~劉備ー公孫賛ー曹操と仕える。

・曹操時代(三国成立期)
曹彰(曹操の子)の北伐の実質的な指揮を執る。
南陽太守になり、(三国の勢力が入り乱れる地域
他国に同調する勢力を未然に鎮圧した。

曹丕政権下
故郷である北方に戻り、遊牧系異民族を分断させ、
巨大勢力を作らせず、倂州、幽州といった地域を安定させた。

中でも、反乱を起こした烏桓の長である骨進を、
百騎ばかりの兵で訪問し、問答無用で斬り、
武を重んじる騎馬民族に尊敬を得ました。

曹叡政権下
遼東の公孫淵が反乱(司馬懿の征討より前)の将となる。
呉が派遣した海からの援軍を、他将が予期せぬ位置で迎撃し、
不意を突かれた呉軍は全滅する。

しかし、殲滅を優先し、公孫淵への支援物資の略奪を
許さなかったことから、同格であった属将から
讒言され、曹叡の信任を得られなかった。

曹叡は明君でしたが、数少ない失策の1つと言われています。
(一部の名臣からは、張郃に匹敵する将として、田予が挙げられた)

司馬懿が魏を把握した頃、衛尉(高官位)に任命されましたが、
高齢であることで固辞し、慎ましい生活の中、
254年に死去しました。

254年は、司馬師が政権を把握し、魏皇帝は廃位され、
翌年、魏の臣下である母丘倹の乱が起き、司馬師に鎮圧されます。


田予という人物が知られていないのは、
三国志演義に1行しか登場しないためです。

しかし、前漢~(三国時代)~晋の間は、
北から来る騎馬民族との戦いが最も重要でした。

実際に晋の後、千年間(明が成立するまで)
中国の先進的な地域は騎馬民族の支配下に置かれます。
彼は半世紀に渡って、その地を安定させました。

騎馬民族との国境付近の出自である田予が、
騎兵との戦いに長けていたのは想像できますが、

南方にも転戦して、勝利を収めているところが、
彼の将としての優秀さを表しています。


それから、田予という方の優れているのは、
他者を讒言しないところです。

曹操に会った際に、かつての主君である
公孫賛や劉備を悪く言いませんでした。(劉備はこの時、曹操の敵)

それは彼を登用しなかった曹叡どころか、
曹叡に讒言した程喜という人物にもです。

讒言ではありませんが、曹彰に関しては、
北伐における田予の功績は、曹彰のものになってもです。

それはおそらく景初年間(曹叡の時代)において、
最も優れた将であった彼が持っていた優れた資質であり、

50年という現役の中で、
それを継続させたことなのだと思います。



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週末リーディングミーティング(3回目)

週末なのに制作の話じゃない・・・。

金曜日、
星海社さんの#週末リーディングミーティングにいっておりました。

ゲストは、ダンガンロンパ霧切の北山猛邦さん。

これは、会場近くの本屋さんで数冊の本を買って、
みんなでその本を紹介しましょうという企画です。

私は、先月の2回目から参加してまして、1500+1ドリンク代で、
作家さんと編集さんの話を直に聞けるとか、
どんなご褒美だよって話です。

ゲストさんに配慮して、ゲストさんの本を持っていくとかも、
ファンとしてありだと思うのですが。

残念ながら、ゲストになったお3方とも、
星海社さんから出てる本は全て持っておりまして。
(渡辺さんのゲームキッズは、1冊ぐらいないかもしれないですが)

当日、インスピレーションにあった本を買うことにしています。

私の買った本、一覧。
松本保羽『銀河連合日本 1』(星海社FICTIONS)
内藤昌編著『城の日本史』(講談社学術文庫)
『TYPE-MOONエースVOL.11』(KADOKAWA)
上村勝彦『インド神話』(ちくま学芸文庫)
渡邉義浩『三国志』(中公新書)


『城の日本史』は、
この前の地震で熊本城がどうこうという話があったので、
改めて1冊読もうかと。

『TYPE-MOONエースVOL.11』
『インド神話』
『三国志』は、
紀伊国屋でFateGrandOrderフェアがやっていたので、
インドをよく知らないのと、
呂布枠で紹介の演義ではなく正史の三国志をいう本を。
三国志は、他の参加者さんからオススメもいただきました。

このフェア自体はよかったんですが、
荊軻枠の紹介本が「史記」でして、

いや、そこは荒俣さんの始皇帝暗殺(中国名:刺秦)だろ!
と心の中で突っ込みました。
(ポップ書いた方が、荊軻を知らなかったそうで)


『銀河連合日本 1』は、
一度、星海社の太田さんが
「外交を重視していいものになりました」
とおっしゃっていたので、興味がわいていたのですが。

なろう小説が元だということで、なろう文体が
ちょっと読みにくいもので保留にしていました。

それが今回、本屋さんで買うということで、
中身を少し立ち読みして、文体をチェックしたら、
問題ないので買いました。

今回は、こういう買い方ができたのが、
すごくよかったかなと。

こんな感じで、まだ中も読んでない本を、
参加者全員が紹介していきます(笑)


今回ゲストの、北山さんは作品は知っていたのですが、
初めてお会いしまして、

すごく表現が難しいのですが、思考が真っ直ぐ(きれいな)
方だという印象を受けました。

北山さんが選ばれた本の説明を聞くと、
「ああ、あの霧切が生まれるわけだ」
と、よくわかりました。

こうすると、今度本を選ぶ時には、
北山さんの作品を手に取ってみようかと、
本屋で選べれば、幸せな企画参加になりますね。

とりあえず、三国志を手に、夕食を摂りにいきますかね。。



2.馬服君 趙奢

2回目は、漫画辺りから、キングダムのちょっと前を。


中国の戦国時代の趙の国に、趙奢という名将がいました。

別名、馬服君。


彼より、彼の息子の方が有名かもしれません。

この時代の勝者となる秦の決定打とされる長平の戦いで、廉頗(れんば、キングダムにも登場)と交代して指揮し、趙軍を敗北させてしまった趙括です。


父を上回る軍才と称された趙括に対して、趙奢は、
括の兵法は口先だけもので、戦争とは生死のかかったものであるのに、無造作に論じている」
と評しています。


これは違った側面を見ることもできます(後述)が、趙奢が戦争を机上のものと考えていなかったことがわかるかと思います。



趙奢自身が指揮したものでは、「閼与の戦い」があります。


秦軍が侵攻してきた、閼与へ援軍に赴くことになった趙奢ですが、趙の首都近くに陣を敷いて、臆病風に吹かれて援軍にいかないという虚報を秦軍に流し、そこから迅速に動いて閼与に到着すると、秦軍に有利となる北山を占領し、一気に秦軍を撃破しました。


他に趙奢の戦い方として、3千の手勢で隘路を進んでくる秦軍を強襲して撤退させた。

(正確な趙奢軍を把握できていなかった秦軍は、大軍と勘違いして退却した)


服君という名のとおり、機動戦を得意としたのかもしれません。


ここで、長平の戦いに話を戻します。


長平の戦いは、秦軍3万を率いる白起が、趙軍40万の篭る長平を囲むという、少数が多数を囲んでいるという、よくわからない戦いです。


持久戦を選択した趙の将軍廉頗が王により更迭され、代わった括は出て戦うことを選択しました。

そして、白起に破れ討ち死にし、捕らえられた40万の長平は生き埋めにされるという、趙の命運を決定づけた戦いです。


これは単純に括の失策とされていますが、趙奢が徴税官から出世してきたことと、先の少数の兵で戦うことを常としたことと考えると、別の側面が出てきます。


趙兵の40万というのは、徴兵された非戦闘員も含まれています。

つまり、常時には生産活動をしていた民が、生産活動を止めて従軍しているのです。


廉頗は、勝つための兵力として、この大軍を要請しましたが、滞陣が長く続けば、趙はそれだけで国力を弱めてしまいます。

戦争が国力を弱めるということ、王からの要請、そして、10分の1以下の兵力の白起の挑発。


なにがどういうタイミングで、括の心を揺さぶったか知ることはできませんが、そういう側面もあったという話です。

廉頗はこの時、一線を退いていました。

趙は国として、この戦いになる前に、10万程度の兵力で、秦と互角に戦える将と兵を鍛えなければならなかったのだと思います。

趙奢は、秦の勃興期と時代が被り、領地が秦に近いこともあり、秦への対策に明け暮れた隠れた名将であったかと思います。



余談になりますが、時代を降って、後漢には、彼の子孫と言われている馬援が登場します。
前漢の時代、長江ぐらいまでであった中華の版図を、いっきょにベトナム付近まで拡げたのは、彼の晩年の功績です。
(光武帝の28将という有名な絵がありますが、馬援は描かれたとき、皇帝の外祖父となっていたので入っていません)

さらに三国時代の馬騰・馬超は、馬援の子孫と言われていますから、歴史に大きな足跡を残した一族ですね。
ちなみに、馬は馬服君から、取られた姓だと言われています。




とりあえず、先に進めた。

長年、ひっかかっていた事が終わり。
なんとか、前に進める態勢にはなりました。貧困。

だめだったし、見返してみて拙いものを出してしまった後悔はいっぱいあるけれど。
それでも、前に進めそうです。



次回作を、

unityでの3Dアクション
アンドロイド端末での、簡易アクション
和物、媒体未定

3Dは動くことは動きましたが、これをいっしょに制作できるグラさんが、ちと難しそう。

和物も、グラさんの関係で。

まあ、アンドロイドで出さないと、もうどうしようもないかなー。
という市場現状。
(windowsでも動きます)

簡易アクションといっても、ライオン1みたいに、動作速度の調整とかで時間がかかっても仕方ないので、いい感覚でプレイできるものを。
とりあえず、最低限、動いています。

しかし、ライオン1を吉里吉里、本格的にいじり始めてから、3ヶ月でやった頃の自分はもういないと言い聞かせながら制作しています。
(うち1ヶ月は素材の関係でやり直し。そこ以外は揃ってたので、楽だった)

もう、若さ的な体力はありません。


1.熊本城

週2回更新で、前半なにかしら歴史のことを。
後半、制作のことという流れでやってきます。
ブログわけようかとも思っているので、その時は移動します。



地震の時、いろいろ出たのでね。
最初から、人じゃないし!

熊本城の話を聞いていると、日本人が信仰に支えられた民族というのが、よくわかりますね。

・築城の名手の清正公が建てた。
・西南戦争で陥ちなかった。
・熊本の地震にも耐えた。



・築城の名手の清正公が建てた。

加藤清正が豊臣の多くの築城に関わったのは事実であり、近い血縁の福島正則よりも、厳しい条件で成長した方です。

清正は肥後国人衆の一揆(肥後が中心であるが、規模としては九州全域)の後、関が原までは小西行長と、以降は死ぬまで肥後を安定させました。

そして、加藤家の後に入った細川家が、清正の人気を尊重し、神格化して崇めました。

清正が熊本城にさまざまな工夫を凝らしたのは事実ですが、城郭として発展させたのは、細川家の功績です。(後述)



・西南戦争で陥ちなかった。

時代は下って、明治維新、西南戦争。
挙兵した薩摩軍が、熊本城を抜くことができず、新政府軍の到着を許し、最終的に敗北。

しかし、実際は薩摩軍が城攻めに当時の大砲を使わず、旧式装備で戦ったためでした。
この辺が、西郷隆盛が侍と共に心中しようと考えた元になっています。

戦国から江戸時代の間、大砲を用いた城攻めというものはありませんでした。
関が原で初めて野戦で、後は大阪の陣でしょう。

大砲に対する備えとしては、橋頭堡という城から突出した城郭を造ることがあります。
真田丸もその一種で。よく知りたい方は、五稜郭の戦いを調べて下さい。

260年という徳川家による平和があったため、城郭研究はそこで止まっていました。
なので、もし薩摩軍が計画的に、260年分発達した距離の大砲を用いていたら、どうなったかわかりません。



・熊本の地震にも耐えた。

余震でだいぶ、崩れたみたいですが。

リアルタイムでも流れてましたが、瓦が落ちたという報道に対して、重さを減らすために、わざと落ちるようになっていると、専門家の言葉が流れてましたね。

地震設計に使う地震力は、(加速度)×(質量)です。
質量=重さ ですので、重さを軽くすれば危険度が下がります。
400年も前なのに、理論に基づいているのは、すごいですね。


お城には、それぞれ役目があります。
瓦は、風雨を防ぐため。石垣は、火事を防ぐため。
なので、瓦や石垣が崩れることは、それほど問題ではないのです。

そして、そういう観点から考えると、
2016年4月の熊本地震の為に石垣・櫓・天守閣に甚大な被害を受け、現在閉鎖されている。復旧の目処は未だ立っていない」(2016/5/16時のウィキペディアより)

となっているので、熊本城自体(根幹)が瓦解してはいないようです。
そこは初期築城時のことなので、加藤清正公のお力でしょうね。




歴史・承前

更新頻度を上げていくと宣言したのに、あんまり上がってない虎舟です。

当分、イベントもないし、同人系じゃない話でもいいかなと。
歴史系の話を上げてこうと思います。

(ツイッターだと、ぼつぼつ呟いてるんですが、全く知らない人もいると知った今日この頃)

まず、承前として、私の立ち位置を。

上から
歴史研究者
 (大学で教鞭など取られている方)
歴史マニア・狂い
 (上の研究者さんの発表会などにも行く。歴史1.5軍。※私はここ)
歴史オタク
 (歴女の方など)
テレビでやってることは知ってる人
全然知らない人

ただ、歴史というのは、専門性が求められる分野でして。
戦国史をやっている人が、日本古代史まで網羅していることは皆無であること。

なので、極端にいうと4番目の人が、研究者さんより知っている分野もあるということです。
(ただし、研究者さんが調べれば、短時間で論破されると思います)

この間、とある方が上のことを踏まえて、
「歴史を通しで説明するのは、研究者の方では無理。逆に一年かけて歴史の授業をする先生のような人じゃないと」
とおっしゃってました

相変わらず、着眼点のすごい方だなぁと思いました。


さて、

一度、(世界)名将百選なんてのを、ぼそっと呟いたところ、面白そうと言ってもらたりもしたんですが、名将という枠にはとらわれないでいこうと思ってます。

さーて、どっからいこうかねー。


「表現の自由」の守り方

「表現の自由」の守り方(星海社新書)
という本を、山田太郎議員が出されました。
表現の自由の守り方 

コミケに参加された方の中には、国際展示場駅の途中で、演説されている姿を見られたことがある方もいるかと思います。

山田さんが演説を始めた頃、オタク層といえば、麻生さんだったかと思いますが。

当時、いっしょに活動していた若い子に歩きながら、この規制の話をしたところ。
「そんなにオタク票が(ですら)欲しいんですかね」
という返事が来ました。

その時の私がどの程度のアンテナがあったか覚えていませんが、他の人の認識は、この程度なんだなと、危機感はさほど感じなかったことを覚えております。

では、それから今までの間に、なにがあったかを、目次を参考に列挙しますと。

児童ポルノ禁止法
TPPと著作権非申告化
ブッキャオ氏の国連答弁

と、みなさんも知っておられることが起きています。
(他にもありますが、わかりやすそうなのを出しました)

「ああ、この話かー」と思い出しながら、読んでいたのですが、国会開幕期間中、ずっと対応されていたのだなと感嘆しました。
(それが仕事だと言われればそうなのですが)


表現の話以外ですと、国会答弁の方法として、
「必ず事前に、話す内容を伝えておく」
ということをされていること。

資料も用意していないことを急に振られれば、時間以内に返答できないのは当たり前なので、他の野党の方も見習って欲しいと思いました。
(本来は、それがルールなのですけどね)

・・・身の回りにも起こってるな。これ。


星海社新書は、なかなか本屋に置いてないのですが。
もし、見かけることがありましたら、冒頭の小説だけでも読んでいただきたく。

小説は、規制で漫画が自由に描けなくなった近未来の話で。

おそらく、多くの人が滑稽な話だと思われるでしょうが、たった七十年前に、この国でも起きていたことと類似しています。
戦時下の規制のことは、手塚治虫先生も、何度か漫画にしていらっします。

一方向の考えしか持たない国家・コミュニティは、必ず破綻するのですから。



ウィッチリングマスター

週2回更新にしようかと思ったら、空いてしまった・・・。

犬と猫さんのウィッチリングマスターが販売開始されました!



デバックで参加させていただきました。
2年ぶりに参加させていただいたのですが、私もこんなデバッカーさんたち欲しい・・・。


犬と猫さんのゲームらしく、経営ゲームなのですが、
今回、商品(マジックリング)の制作がこのような画面です。


C ウィッチリングマイスター公式サイト

体験版もあるので、細かい部分は省きますが、パズルゲーです。

デバックということで、ある程度、チュートリアルをすっとばして、
プレイしましたが(あえて、バグを見つけるために)、

「ちょっとわからないなー」と思ったら、
ヘルプが基本画面のわかりやすいところにあるので、安心です。

5日間のデバック期間で、クリアできました。
(やり込み型なので、その先もプレイできます)

しかし、相変わらず、睡眠時間が削られるゲームでした。
あと1日プレイしたら、寝るかとかいう・・・。


プロフィール

十三妹 

Author:十三妹 
同人ゲーム制作サークル
「十三妹」活動日誌です。

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