2.馬服君 趙奢

2回目は、漫画辺りから、キングダムのちょっと前を。


中国の戦国時代の趙の国に、趙奢という名将がいました。

別名、馬服君。


彼より、彼の息子の方が有名かもしれません。

この時代の勝者となる秦の決定打とされる長平の戦いで、廉頗(れんば、キングダムにも登場)と交代して指揮し、趙軍を敗北させてしまった趙括です。


父を上回る軍才と称された趙括に対して、趙奢は、
括の兵法は口先だけもので、戦争とは生死のかかったものであるのに、無造作に論じている」
と評しています。


これは違った側面を見ることもできます(後述)が、趙奢が戦争を机上のものと考えていなかったことがわかるかと思います。



趙奢自身が指揮したものでは、「閼与の戦い」があります。


秦軍が侵攻してきた、閼与へ援軍に赴くことになった趙奢ですが、趙の首都近くに陣を敷いて、臆病風に吹かれて援軍にいかないという虚報を秦軍に流し、そこから迅速に動いて閼与に到着すると、秦軍に有利となる北山を占領し、一気に秦軍を撃破しました。


他に趙奢の戦い方として、3千の手勢で隘路を進んでくる秦軍を強襲して撤退させた。

(正確な趙奢軍を把握できていなかった秦軍は、大軍と勘違いして退却した)


服君という名のとおり、機動戦を得意としたのかもしれません。


ここで、長平の戦いに話を戻します。


長平の戦いは、秦軍3万を率いる白起が、趙軍40万の篭る長平を囲むという、少数が多数を囲んでいるという、よくわからない戦いです。


持久戦を選択した趙の将軍廉頗が王により更迭され、代わった括は出て戦うことを選択しました。

そして、白起に破れ討ち死にし、捕らえられた40万の長平は生き埋めにされるという、趙の命運を決定づけた戦いです。


これは単純に括の失策とされていますが、趙奢が徴税官から出世してきたことと、先の少数の兵で戦うことを常としたことと考えると、別の側面が出てきます。


趙兵の40万というのは、徴兵された非戦闘員も含まれています。

つまり、常時には生産活動をしていた民が、生産活動を止めて従軍しているのです。


廉頗は、勝つための兵力として、この大軍を要請しましたが、滞陣が長く続けば、趙はそれだけで国力を弱めてしまいます。

戦争が国力を弱めるということ、王からの要請、そして、10分の1以下の兵力の白起の挑発。


なにがどういうタイミングで、括の心を揺さぶったか知ることはできませんが、そういう側面もあったという話です。

廉頗はこの時、一線を退いていました。

趙は国として、この戦いになる前に、10万程度の兵力で、秦と互角に戦える将と兵を鍛えなければならなかったのだと思います。

趙奢は、秦の勃興期と時代が被り、領地が秦に近いこともあり、秦への対策に明け暮れた隠れた名将であったかと思います。



余談になりますが、時代を降って、後漢には、彼の子孫と言われている馬援が登場します。
前漢の時代、長江ぐらいまでであった中華の版図を、いっきょにベトナム付近まで拡げたのは、彼の晩年の功績です。
(光武帝の28将という有名な絵がありますが、馬援は描かれたとき、皇帝の外祖父となっていたので入っていません)

さらに三国時代の馬騰・馬超は、馬援の子孫と言われていますから、歴史に大きな足跡を残した一族ですね。
ちなみに、馬は馬服君から、取られた姓だと言われています。




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