1.熊本城

週2回更新で、前半なにかしら歴史のことを。
後半、制作のことという流れでやってきます。
ブログわけようかとも思っているので、その時は移動します。



地震の時、いろいろ出たのでね。
最初から、人じゃないし!

熊本城の話を聞いていると、日本人が信仰に支えられた民族というのが、よくわかりますね。

・築城の名手の清正公が建てた。
・西南戦争で陥ちなかった。
・熊本の地震にも耐えた。



・築城の名手の清正公が建てた。

加藤清正が豊臣の多くの築城に関わったのは事実であり、近い血縁の福島正則よりも、厳しい条件で成長した方です。

清正は肥後国人衆の一揆(肥後が中心であるが、規模としては九州全域)の後、関が原までは小西行長と、以降は死ぬまで肥後を安定させました。

そして、加藤家の後に入った細川家が、清正の人気を尊重し、神格化して崇めました。

清正が熊本城にさまざまな工夫を凝らしたのは事実ですが、城郭として発展させたのは、細川家の功績です。(後述)



・西南戦争で陥ちなかった。

時代は下って、明治維新、西南戦争。
挙兵した薩摩軍が、熊本城を抜くことができず、新政府軍の到着を許し、最終的に敗北。

しかし、実際は薩摩軍が城攻めに当時の大砲を使わず、旧式装備で戦ったためでした。
この辺が、西郷隆盛が侍と共に心中しようと考えた元になっています。

戦国から江戸時代の間、大砲を用いた城攻めというものはありませんでした。
関が原で初めて野戦で、後は大阪の陣でしょう。

大砲に対する備えとしては、橋頭堡という城から突出した城郭を造ることがあります。
真田丸もその一種で。よく知りたい方は、五稜郭の戦いを調べて下さい。

260年という徳川家による平和があったため、城郭研究はそこで止まっていました。
なので、もし薩摩軍が計画的に、260年分発達した距離の大砲を用いていたら、どうなったかわかりません。



・熊本の地震にも耐えた。

余震でだいぶ、崩れたみたいですが。

リアルタイムでも流れてましたが、瓦が落ちたという報道に対して、重さを減らすために、わざと落ちるようになっていると、専門家の言葉が流れてましたね。

地震設計に使う地震力は、(加速度)×(質量)です。
質量=重さ ですので、重さを軽くすれば危険度が下がります。
400年も前なのに、理論に基づいているのは、すごいですね。


お城には、それぞれ役目があります。
瓦は、風雨を防ぐため。石垣は、火事を防ぐため。
なので、瓦や石垣が崩れることは、それほど問題ではないのです。

そして、そういう観点から考えると、
2016年4月の熊本地震の為に石垣・櫓・天守閣に甚大な被害を受け、現在閉鎖されている。復旧の目処は未だ立っていない」(2016/5/16時のウィキペディアより)

となっているので、熊本城自体(根幹)が瓦解してはいないようです。
そこは初期築城時のことなので、加藤清正公のお力でしょうね。




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