歴史4 石田三成

近況
ちゃんと布団で寝てなくて、体イタイ!



とうとう真田丸が小田原の役(北条征伐)ということで、
今回は石田三成のお話です。

世界各地にある小国が大軍を退ける逆転劇というのは、
ゲリラ戦で、補給路を絶たれたり、
焦土戦術で、戦地で食料を確保できなかったり
して、起きています。

十字軍なんかは、今のパレスチナが戦場なわけですが、
ヴェネチアが海路で支援しなくなってからは、
勝てなくなりました。


日本では、遠征というのがほとんどないので、
兵站のスペシャリストという人物を
なかなか上げられないのですが、確実な2人がいます。

足利直義(室町初代将軍、尊氏の弟)
石田三成(本項にて)

両者ともに、前線の武将に嫌われていますが、
戦略を支えた武将からは好かれて、

その能力がゆえに、天下を差配することになり、
非業の死を遂げています。


で、今日は石田三成。

略歴
・近江にて、秀吉に見出される。
・備中高松城の戦いには参戦していた形跡がみられる。
・豊臣政権下で、奉行衆の筆頭になる。
・北条征伐で武蔵方面に進軍し、忍城以外を制圧する。
・文禄・慶長の役で兵站を担う。
・関ヶ原で敗死。

略歴をみただけで、評価が難しい方のがわかります。
では、簡単に評価をするために数字です。


三成が兵站を担ったとされる大きな戦。

兵站(へいたん)
 戦場で後方に位置して、前線部隊に軍需品・食料などを供給する役目・機関。
(Wikipedia 2016/6/7)

四国征伐(5万程度?)
九州征伐(10万程度?)
小田原の役(10万程度?)
文禄・慶長の役(10万程度×2)
(※ それぞれに関しては後述)

日本の歴史の中で、この規模の戦いの兵站を5回も担当した
人物はいないと思われます。

そして、この戦いの中、中央機構に兵站を担える官僚が育ち、
人ではなく、組織として担当することになるため、
評価されにくい能力だということも言えます。

すごく裏の話をすると、信長の爺さん信定辺りから、
こういった官僚を育てることを考え始め、
織田政権の早くから、農民足軽ではなく、
経済力により、軍事力を養うことを目的としていました。

最初に楽市楽座を行った六角氏が維持できず滅び、
そういった新しい経済政策に、
次々と挑戦した織豊政権が天下を取りました。

三成は、その半世紀に及ぶ機構の集大成だったのかもしれません。


最後に三成の逸話を。

三成と秀吉の出会いの話ですが、当時、近江で城主になった秀吉が、
鷹狩りの後、お寺で休憩しようとすると、お茶を勧められました。

最初は、温めのお茶。
次は、普通の熱さのお茶。
最後は、熱いお茶です。

秀吉にどうして、お茶の熱さを変えたと聞かれた
佐吉少年(三成の幼名)は、

1杯目は、動いてきた後で、すぐ飲みたいと思ったので、
温いお茶を出しました。

2杯目は、お茶を味わっていただきたく、普通に。

3杯目は、お茶の味を気に入られたと思いましたので、
熱くして味わっていただこうかと

この返答を秀吉は気に入り、佐吉を配下に取り立てました。
三成の誕生です。

この話は、「お茶の作法を説明しただけだ」と、
おっしゃる方がいるのですが、違う視点で見ていただきたく。


こういった作法・慣例といったものは、
子供に説明をする大人がどれくらいいたかということです。

今の日本でも、当たり前のことはあまり言わない。
言っていても、それを子供が理解することは難しい。

そして、秀吉の聞かれたことの意図を理解し、説明したこと。
まして、初対面であろう武家に、堂々と話す胆力です。

1.理解力
2.説得力
3.胆力

作法など、クソくらえの秀吉です。
清須で織田の重臣と渡りあってきた頃の自分と
同じ姿をみたのだろうと、推測しました。



補足説明


四国征伐(5万程度?)
九州征伐(10万程度?)

 この2つは、今まで兵站を担っていた秀長(秀吉の弟)が、
 近畿を動けない秀吉の代わりに指揮を執った戦いです。
 指揮官も兵站担当も、入れ替わるというある意味難しい戦いでした。


小田原の役(10万程度?)

 三成は武蔵方面軍を指揮していますが、北条の本陣が一番手前の
 小田原だったため、兵站の差配は終えた状態での戦いでした。

 北条側で唯一落なかった城が、忍城という映画「のぼうの城」で
 有名な戦いですが、映画では水攻めにこだわった三成ですが、
 実際は水攻めを指示する秀吉に、抵抗があったようです。

 それから、忍城までの道程にあった北条側の城は、
 全て楽に落としたことは、あまり知られていません。

 のぼうの城では、それが不満だったと書かれていますが、
 忍城の戦いは、甲斐姫(忍城の城主の娘)の講談が江戸期を通じて
 残っており、その辺の影響があります。


文禄・慶長の役(10万程度×2)

 秀吉の唐入りで、2回とも失敗に終わっていますが、
 実際は、先陣の清正と小西行長の突破力が凄すぎて、
 一気に漢城(朝鮮の首都)を落としてしまったため、

 三成の想定した兵站が担えず、戦線が伸びたところを、
 唐の兵と朝鮮の民兵に分断されまくったの敗因でした。

 それでも、調達を現地で行う外征を考えれば、
 妥当な補給をしていたのですが、朝鮮にも名将がいました。

 李舜臣です。 不遇を囲っていた将軍ですが、
 日本の水軍に敗れても、なんども機会を試み、
 露梁海戦で日本水軍に決定的な被害を与えます。

 彼自身、この戦いで戦死しますが、この後、本土からの補給が絶たれることになり、
 秀吉の死と共に、唐入りは終わりとなります。


スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

十三妹 

Author:十三妹 
同人ゲーム制作サークル
「十三妹」活動日誌です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも一覧