歴史5 曹叡

兵站の話が出たので、それに類似する話を三国志から。

といっても、最近三国志って、知ってる人少ないんですね。
私の上の世代は、吉川三国志。
私の世代は、横光三国志。
その後も、いろいろあるのですが、

蒼天航路が出た頃には、三国志以外の歴史の知名度も上がり、
歴史入門として三国志が選ばれなくなったのですかね。


さて、表題の曹叡です。

魏の2代皇帝。曹操の孫にあたる人物です。
彼の諡(死後に与えられる尊号)は、

明帝といい文字的にも高評価っぽく、
実際に評価の高い皇帝です。

主な業績をあげると。
・諸葛亮の北伐を退けた。
・父の曹丕が悪評で、対照的に好評だった。
・晩年、宮殿を造営などし、国を疲弊させた。
・後継者問題で、いろいろ揉めた。(父同様)

武将としての話なので、「諸葛亮の北伐を退けた」が、
話の中心になるのですが、三国志演義などでは、
曹真や司馬懿がその中心なので、あんまり印象がありません。

私も宮城谷昌光さんの三国志(全12巻)を読むまで、
あまり関心はありませんでした。

2つほど、事例を。


1.呉への南征

曹丕もほぼ同じ経路で、進軍しています。
曹丕は進路を途中で変更したりと、

目的地に着くまでに敵が備えをしてしまったり、
途中で寄った場所も、皇帝を迎える準備をしたりと、
すごく非効率な戦争でした。

逆に曹叡は順当に進軍し、余計な消耗をしませんでした。
国という規模での戦いを考えると、

数万人の食糧を確保する難しさが大きくなり、
それを無為に消耗するのは、将としての愚になります。


2.諸葛亮の北伐

別の機会があれば書きますが、諸葛亮の北伐は
最初が最大の山場でした。俗に言う「街亭の戦い」です。

魏からすれば、諸葛亮が率いる蜀がどこを攻めて来るのかわからず、
西の涼州と魏が分断された時点で、
ようやく長安以西が目的だと判明しました。

しかし、魏の重要都市である長安が狙われる可能性もあり、
曹叡は自軍を長安に進める選択をとりました。

これで他の武将は、長安を防衛することを考えず、
蜀軍との戦いに専念できました。

そして、蜀の分断が完成する少し前に、分断点で守るのに
最も困難な拠点である「街亭」に、当時の魏で最強である
張郃の軍を派遣し、蜀将である馬謖を破ることに成功します。

敵の目論見を看破し、そこに最も強い軍をあてるのは、
国規模の軍の将の最も重要な資質です。


この戦いで蜀軍は、将来有望視されていた馬謖が斬首され、
以降、同じ地点まで進出することはできませんでした。

逆に魏軍は、参戦者である曹真や司馬懿が起用されました。
蜀軍を退けました。国力で優っている魏として、正しい戦い方です。



彼の戦いは、曹操や曹丕と違い、国と国との戦いであったため、
不必要な戦いはいりませんでした。

大軍に兵法なし

相手より大軍を率いている場合、弱いところを制圧していけば、
敵は軍を支えることができなくなり、自滅していく。

それは40年後の蜀滅亡の際、蜀の各将が各個撃破されていく
ことから、みてわかります。



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